近藤 勇辞世の句

孤軍たすけ絶えて俘囚となる
顧みて君恩を思えば涙さらに流る
一片の丹衷よく節に殉ず
雎陽千古これ吾がともがしら
他になびき今日また何をか言わん
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只まさに一死をもって君恩に報いん

AIによる解説

注意

この解説はAIにより生成されたものです。したがって、誤った情報や不正確な情報が含まれている可能性があります。

こちらで記載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

彼の忠誠心と覚悟を表現しています。以下に詳細な解説を行います。

孤軍たすけ絶えて俘囚となる

  • 「孤軍」:孤立した軍勢のことを指します。
  • 「たすけ絶えて」:援軍がなくなり、孤立した状態を意味します。
  • 「俘囚となる」:捕虜になることを意味します。

この部分は、近藤勇が援軍もなく孤立して捕虜となった状況を表しています。幕末の動乱期、新撰組として戦った彼の孤独な戦いと敗北の瞬間を示しています。

顧みて君恩を思えば涙さらに流る

  • 「顧みて」:振り返って、過去を思い出すこと。
  • 「君恩」:主君から受けた恩義を指します。
  • 「涙さらに流る」:涙がさらに流れることを表しています。

ここでは、近藤勇が自分のこれまでの行いを振り返り、主君から受けた恩義を思い出して涙を流している様子が描かれています。彼の忠誠心と、主君への深い感謝の気持ちが込められています。

一片の丹衷よく節に殉ず

  • 「一片の丹衷」:真心や忠誠心を指します。
  • 「よく節に殉ず」:節(忠義)に殉じる、すなわち忠誠を尽くすことを意味します。

この部分では、彼の一片の真心が忠義に殉じる、つまり彼がどれほど忠誠心を持っているかを強調しています。

雎陽千古これ吾がともがしら

  • 「雎陽千古」:歴史上の忠臣を指す言葉。具体的には、中国の歴史に出てくる忠臣、関羽や諸葛亮などを意味することがあります。
  • 「これ吾がともがしら」:これは自分の友や同士である、という意味です。

ここでは、歴史上の偉大な忠臣たちを自分の友や同士として仰ぐ姿勢を示しています。自分もその一員でありたいという願いが込められています。

他になびき今日また何をか言わん

  • 「他になびき」:他の道に心を向けること。
  • 「今日また何をか言わん」:今日この日に何を言うことがあるだろうか、という意味です。

この部分は、他の道に心を向けることなく、今日この日に自分の選んだ道を貫く決意を表しています。

義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所

  • 「義を取り生を捨つる」:正義や忠義を選び、命を捨てること。
  • 「吾が尊ぶ所」:自分が尊ぶべき行為を指します。

ここでは、近藤勇が正義や忠義のために命を捨てることを何よりも尊いと考えていることを示しています。

快く受けん電光三尺の剣

  • 「快く受けん」:喜んで受けるという意味です。
  • 「電光三尺の剣」:稲妻のように鋭い三尺の剣を指します。ここでは、斬首を意味しています。

この部分は、彼が喜んで斬首を受け入れる覚悟を示しています。

只まさに一死をもって君恩に報いん

  • 「只まさに」:ただまさに、という意味です。
  • 「一死をもって君恩に報いん」:死をもって主君の恩に報いるという意味です。

ここでは、彼が自分の死をもって主君への恩義を報いようとする強い決意を表しています。

全体の解釈

この辞世の句は、近藤勇の強い忠誠心と覚悟、そして主君への恩義を強調しています。孤立して捕虜となりながらも、彼は過去の行いを悔いず、主君への恩義に報いるために喜んで命を捧げる覚悟を示しています。彼の忠義心と不屈の精神が、この句全体から強く伝わってきます。

人物情報

近藤 勇 画像
時代
江戸時代
職業
武士
没年月日
1868年5月17日

農家に生れ、江戸の天然理心流近藤周助の養子となり道場をつぐ。
文久3(1863)年将軍徳川家茂の上洛に際し、警衛のため組織された浪士隊に土方歳三、沖田総司らと参加。同隊の一部はそのまま京都に残留し、京都守護職松平容保の下で新撰組となり、京都の治安維持を担当。近藤はのち局長となった。

慶応3(1867)年見廻組頭取として幕臣となる。

4年鳥羽・伏見の戦の後、甲陽鎮撫隊を組織し官軍と戦うが、下総流山でとらえられ斬首された。