近藤 勇辞世の句
孤軍たすけ絶えて俘囚となる
顧みて君恩を思えば涙さらに流る
一片の丹衷よく節に殉ず
雎陽千古これ吾がともがしら
他になびき今日また何をか言わん
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只まさに一死をもって君恩に報いん
人物情報
農家に生れ、江戸の天然理心流近藤周助の養子となり道場をつぐ。
文久3(1863)年将軍徳川家茂の上洛に際し、警衛のため組織された浪士隊に土方歳三、沖田総司らと参加。同隊の一部はそのまま京都に残留し、京都守護職松平容保の下で新撰組となり、京都の治安維持を担当。近藤はのち局長となった。
慶応3(1867)年見廻組頭取として幕臣となる。
4年鳥羽・伏見の戦の後、甲陽鎮撫隊を組織し官軍と戦うが、下総流山でとらえられ斬首された。