豊臣 秀吉辞世の句
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことも 夢のまた夢
人物情報
安土桃山時代の武将。幼名日吉丸、初名木下藤吉郎。尾張国(愛知県)の人。
初め松下之綱に仕えたが、のち織田信長のもとで戦功をたて、重用されて、苗字を羽柴に改める。
中国経略の途中、本能寺の変を聞き、山崎の戦いで明智光秀を討った。のち、徳川家康と和し、四国、九州、後北条、奥羽を平定して天下統一を達成。
天正一三年(一五八五)関白、翌年太政大臣となり、豊臣と改姓。
太閤検地を行なって兵農分離をはかり、またキリスト教徒の弾圧など、統一事業を推進。
晩年は再度朝鮮に出兵した。天文五~慶長三年(一五三六‐九八)