紀 貫之辞世の句
手にむすぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ
人物情報
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。
武内宿禰を祖とする名門紀氏は貫之の時代には藤原氏に押されて衰えており、官人としての栄達の道は困難であった。
しかし一族やその周辺には、従兄弟の紀友則や紀長谷雄、紀有常、惟喬親王、在原業平などの有力歌人や漢詩文で名をなしたものがおり、のちに歌壇の第一人者となる貫之の出発に大きく影響したと思われる。
貫之の名は893年以前の寛平御時后宮歌合に登場しており、若くして高い評価を得ていたことが窺われる。
905年には友則らとともに古今和歌集を撰進した。これを通じて貫之は歌壇の第一人者となり、その執筆といわれる仮名序は歌論、歌学の出発点として後代にも多大の影響を与えている。
930年に土佐守に任ぜられ、任地で新撰和歌集を編纂した。
935年に帰京、土佐日記を書いて仮名散文、日記文学に新しい道を開いた。
古今和歌集以下の勅撰集に約450首入集。
没後編纂された家集「貫之集」がある。