真田 幸村辞世の句
さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候
人物情報
信濃上田城主真田昌幸の二男、左衛門佐信繁と称する。真田幸村として知られる。
父とともに豊臣秀吉に仕え、天正18(1590)年 小田原征伐に参加。
慶長5(1600)年関ヶ原の戦いには兄信之と分かれ、父とともに西軍に応じ、居城上田城によって、東山道を西上して関ヶ原の戦いに参加しようとする徳川秀忠の大軍をわずかの手兵で阻止し、武威をあげた。
合戦後、父とともに紀州九度山に幽居したが、同 19年豊臣秀頼に召されて大坂城に入り、冬の陣に活躍して徳川方を悩ませた。
同 20年、夏の陣では河内道明寺一帯で伊達政宗軍を破り奮戦したが、大坂落城の前日茶臼山で戦死。
法名は大光院殿月山伝心大居士。