歌川 広重辞世の句

東路に 筆をのこして 旅の空 西のみ国の 名ところを見ん

人物情報

歌川 広重 画像
時代
江戸時代
職業
作家
没年月日
1858年10月12日

江戸時代末期の浮世絵師。幼名は徳太郎のち重右衛門。別号は一遊斎、一幽斎、天保3年から一立斎。

文化6 (1809) 年両親を失い、家職の八代洲河岸火消し同心を継いだが、画家を志し同8年に歌川豊広に師事、翌年歌川広重と称した。家姓の安藤広重の名も通用している。

豊広のほか、狩野派を岡島林斎に、南画を大岡雲峰に習い、四条派、西洋画法も学ぶ。

最初は美人画、役者絵、草双紙挿絵などを描く。

天保3年、幕府八朔御馬献上の一行に加わり東海道を旅行。
このとき写生した道中の風景、風俗を基に翌年から保永堂版「東海道五拾三次」 55枚を発表し出世作となる。

その後 37種類の東海道シリーズを描くが、保永堂版を凌駕する作品はない。

さらに「京都名所」、「浪花名所図会」、「江戸近郊八景」、「木曾海道六拾九次」、「名所江戸百景」などを出版、風景画家として名声を博す。

花鳥画、肉筆画にも才能を示し門人も多く、没後も広重の名は襲名され3代まで続いた。