岡田 以蔵辞世の句
君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき
人物情報
幕末の土佐(高知)藩郷士、尊攘の志士。
土佐郡江ノ口村(高知市)生まれ。
安政3(1856)年江戸の桃井春蔵道場で剣術修行。
万延1(1860)年,武市瑞山に従って四国、中国、九州諸藩を剣術修行に回遊。
文久1(1861)年、土佐勤王党に参加、翌年同志らと入京。
薩藩の田中新兵衛らと天誅行動の急先鋒となり、多くの佐幕派に危害を加えたが、なかには吉田東洋暗殺犯人探索で上京した藩監察の井上佐一郎惨殺もあり、人斬り以蔵の異名を得た。
姉小路公知暗殺事件で嫌疑を受け、京摂の間に潜伏。同年秋、土佐勤王党の獄が起こるや捕縛され井上殺害を自白して斬刑に処せられた。