北条 氏直辞世の句
結びして 解くる姿は かはれども 氷のほかの 水はあらめや
人物情報
安土桃山時代の武将。後北条氏第5代。氏政の子。母は武田信玄の娘。
1577年(天正5)常陸の小田城に梶原政景を攻め初陣を飾る。
父氏政とともに駿河の黄瀬川で武田勝頼と対陣中の80年8月19日に家督を継ぐ。
翌年代替り検地にかえて段銭の増徴を行う。
82年6月の本能寺の変直後に、関東管領滝川一益と神流川で戦い、一益を上野から伊勢に追い、同年8月には徳川家康と甲斐の若神子で対陣したが、10月に家康と和した。翌83年8月家康の娘督姫と結婚して家康と同盟を結ぶ。
しかし全国制覇を目ざす豊臣秀吉との対決をさけられず、小田原の戦に敗れ、90年7月5日降伏し、戦国大名後北条氏は滅亡した。
氏直は家康の女婿であったことなどから助命され、高野山に追放とされた。
翌91年秀吉から関東で9000石と近江で1000石の計1万石の知行を与えられたが、同年11月4日に病没した。
法名は松巌院殿大円宗徹。
AIによる解説
注意
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彼の人生やその最期に対する深い洞察を表現しています。この句について詳しく解説します。
結びして
解くる姿は
かはれども
氷のほかの
水はあらめや
全体の解釈
この句全体を通して、北条氏直がどのように自らの人生や死を捉えていたのかが分かります。
歴史的背景
北条氏直(1562-1591)は、戦国時代の武将であり、北条氏康の孫、北条氏政の子です。豊臣秀吉の侵攻を受け、小田原城で籠城しましたが、降伏しその後は高野山に追放されました。北条氏の最後の当主として、彼の辞世の句はその滅亡と彼自身の運命に対する心境を反映しています。
結論
北条氏直の辞世の句「結びして 解くる姿は かはれども 氷のほかの 水はあらめや」は、形や姿が変わってもその本質は変わらないという哲学的な見解を示しています。氷が溶けて水になるという自然現象を通じて、彼は人生の変遷とその本質的な不変性を表現しています。これは、彼が死を迎えるにあたり、自らの存在や影響が消え去るのではなく、別の形で続いていくという希望や信念を表しています。