佐々木 只三郎辞世の句
世はなべてうつろふ霜にときめきぬ こころづくしのしら菊のはな
人物情報
幕末維新期の京都見廻組与頭で、清河八郎、坂本竜馬殺害の指揮者といわれる。
会津藩(福島県)藩士佐々木源八の3男。名ははじめ泰昌。幕臣佐々木弥太夫の養子になり高城と改名。
会津藩士手代木直右衛門は実兄。
文久3(1863)年清河ら上洛浪士組の取締並出役。
上洛後、清河らと共に帰府。江戸麻布赤羽橋で清河斬殺の指揮をとる。
翌元治1(1864)年京都見廻組に転じて再上洛。
竜馬殺しの指揮をとったといわれる。
明治1(1868)年の鳥羽・伏見の戦で被弾。大坂から和歌山の紀三井寺へ後送され、同所にて死去。