上杉 謙信辞世の句

極楽も 地獄も先は 有明の
月の心に 懸かる雲なし

人物情報

上杉 謙信 画像
時代
戦国時代
職業
武将
没年月日
1578年4月19日

戦国時代の越後国の武将。長尾為景の子。初名景虎、ついで上杉政虎・同輝虎、入道して謙信。

武田・後北条両氏などと戦い、戦国武将を代表する1人だが、その勢力圏はほぼ越後一国にとどまった。

1548年(天文17)家督となり,50年守護上杉定実の死去により名実ともに越後国主となる。

武田信玄の信濃北部への進出に対抗。
53年信濃に出動し,以後しばしば武田勢力と戦った(川中島の戦)。

北条氏康に関東を追われた関東管領上杉憲政を保護。
60年(永禄3)から翌年にかけて憲政を擁して関東に進出、氏康の本拠相模国小田原城(現神奈川県小田原市)を攻めたが、攻略できなかった。
このとき憲政から上杉姓と関東管領職を継承、以後ほぼ毎年関東に出動したが、成果を残せなかった。

武田・後北条両氏の敵対により、69年に後北条氏と同盟したが、短期間で破れた。
北陸方面では73年(天正元)越中を制圧、さらに能登・加賀に進攻、織田信長軍と戦った。