親鸞辞世の句

我なくも 法は尽きまじ 和歌の浦 あをくさ人の あらん限りは

人物情報

親鸞 画像
時代
鎌倉時代
職業
宗教家
没年月日
1263年1月16日

鎌倉中期の僧。浄土真宗の開祖。京都生れ。
綽空(しゃくくう)・善信とも称し、愚禿(ぐとく)と号する。諡号は見真大師。父は皇太后宮大進の日野有範。

9歳で比叡山に出家して範宴と号し、常行三昧堂の堂僧を勤める。

1201年(建仁元)京都の六角堂に参籠し、聖徳太子の示現によって法然に従い専修念仏に帰入。

07年(承元元)2月、朝廷は法然以下の専修念仏を弾圧し、親鸞は越後に配流された(承元の法難)。

11年(建暦元)の赦免後、14年(建保2)に妻恵信尼をともない関東に移住し、以後約20年間東国教化(きょうけ)に努めた。
この間に絶対他力・悪人正機の思想を深め、主著「教行(きょうぎょう)信証」の初稿を完成させ、下野国高田の真仏(しんぶつ)・顕智(けんち)、下総国横曾根の性信(しょうしん)らの有力門弟が初期教団を形成。

32年(貞永元)頃帰洛し、62年(弘長2)に90歳で没するまで述作・推敲などの活動を続けた。

著書は「愚禿鈔」「浄土和讃」「唯信鈔文意」などきわめて多い。