蒲生 氏郷辞世の句
限りあれば 吹かねど花は 散るものを
心みじかき 春の山風
人物情報
蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。
キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(レオ、またはレアン)。子に蒲生秀行。
織田信長に人質ながらも寵愛され、信長の娘である冬姫を娶る。
信長死後には各地で功績を挙げ、秀吉からも重用された。
最終的には会津藩92万石となり黒川城を与えられ、改築して若松城と名を改め、会津藩の基盤を築いた。
また、千利休の弟子であり、利休七哲にも数えられる一流の茶人でもあった。