紀 貫之辞世の句

手にむすぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ

AIによる解説

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この句には、無常観や人間の儚さが深く込められています。以下に解釈を詳しく説明します。

句の意味と解説

  1. 「手にむすぶ 水に宿れる 月影」
    • 手で掬った水に映る月の光を表現しています。掬った水はすぐにこぼれ落ちるように、そこに映る月の光も一瞬のものです。この描写は、「儚さ」や「無常」を象徴しています。
  2. 「あるかなきかの」
    • 「あるようでない」「ないようである」といった曖昧さを示す表現です。物事の実態が捉えにくい様子や、目に見えるものの移ろいやすさを示唆しています。
  3. 「世にこそありけれ」
    • 「この世というのはまさにそのようなものだった」という感慨を述べています。人生やこの世の存在が、水に映る月影のように儚く不確かなものであると悟った心情が込められています。

背景と主題

紀貫之は『土佐日記』の作者として知られ、和歌に深い感性を持つ人物でした。この辞世の句においても、人生の儚さやこの世の無常が美しい自然描写を通じて巧みに表現されています。

  • 月影
    日本の詩歌では、月はしばしば永遠や普遍性の象徴とされる一方で、水面に映る月影は一時的な美しさや移ろいを表します。ここでは後者が強調され、人生の一瞬の輝きを描き出しています。
  • 無常観
    平安時代の文化や仏教思想に強く根付いていた無常観(すべては変化し、永遠にとどまるものはないという考え)が色濃く反映されています。

鑑賞のポイント

この歌を味わう際には、以下の点を感じ取ることが大切です:

  1. 自然の描写を通じた哲学的な思索
    自然の中のさりげない現象を通して、大きな人生観を示す手法は、古典和歌の特徴でもあります。
  2. 詠み手の心境
    自らの死を前にしてもなお、人生の美しさと儚さを静かに見つめる姿勢は、深い平安文学の精神を表しています。

この句は、日本文学における無常観の一つの到達点とも言えます。読み手自身の人生観と照らし合わせながら鑑賞することで、より深い感動を得られるでしょう。

人物情報

紀 貫之 画像
時代
平安時代
職業
歌人
没年月日
945年6月30日

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。

武内宿禰を祖とする名門紀氏は貫之の時代には藤原氏に押されて衰えており、官人としての栄達の道は困難であった。
しかし一族やその周辺には、従兄弟の紀友則や紀長谷雄、紀有常、惟喬親王、在原業平などの有力歌人や漢詩文で名をなしたものがおり、のちに歌壇の第一人者となる貫之の出発に大きく影響したと思われる。

貫之の名は893年以前の寛平御時后宮歌合に登場しており、若くして高い評価を得ていたことが窺われる。

905年には友則らとともに古今和歌集を撰進した。これを通じて貫之は歌壇の第一人者となり、その執筆といわれる仮名序は歌論、歌学の出発点として後代にも多大の影響を与えている。

930年に土佐守に任ぜられ、任地で新撰和歌集を編纂した。

935年に帰京、土佐日記を書いて仮名散文、日記文学に新しい道を開いた。

古今和歌集以下の勅撰集に約450首入集。
没後編纂された家集「貫之集」がある。