武田 信玄辞世の句

大ていは 地に任せて 肌骨好し 
紅粉を塗らず 自ら風流

人物情報

武田 信玄 画像
時代
戦国時代
職業
武将
没年月日
1573年5月13日

戦国期の武将。実名晴信(はるのぶ)。
甲斐・信濃を中心に勢力圏を築いた。

1541年(天文10)父信虎を追放して家督をつぐ。
42年諏訪頼重を滅ぼし、53年村上義清を追い、55年(弘治元)木曾義昌を従えて信濃を制圧。
前後に越後の上杉謙信としばしば交戦(川中島の戦)。

1554年には駿河国今川氏・相模国後北条氏と同盟を結んだ(善徳寺の会盟)。

65年(永禄8)長子義信がそむいたが、四子勝頼を嫡子にたて、67年義信を切腹させた。
68年同盟を破って駿河に進攻、今川氏真(うじざね)を没落させ、後北条氏と戦った。

後北条氏とは71年(元亀2)同盟を復活。
その後遠江・三河に進攻、72年徳川家康・織田信長軍を破るが(三方原の戦)、まもなく死没。

内政面では村落掌握を進め、御家人衆・軍役衆を設定。
さらに信玄堤で有名な治水事業、甲州金で知られる金山開発を行い、富国強兵に努めた。
1547年には「甲州法度之次第」を制定。