歌川 広重辞世の句
東路に 筆をのこして 旅の空 西のみ国の 名ところを見ん
人物情報
江戸時代末期の浮世絵師。幼名は徳太郎のち重右衛門。別号は一遊斎、一幽斎、天保3年から一立斎。
文化6 (1809) 年両親を失い、家職の八代洲河岸火消し同心を継いだが、画家を志し同8年に歌川豊広に師事、翌年歌川広重と称した。家姓の安藤広重の名も通用している。
豊広のほか、狩野派を岡島林斎に、南画を大岡雲峰に習い、四条派、西洋画法も学ぶ。
最初は美人画、役者絵、草双紙挿絵などを描く。
天保3年、幕府八朔御馬献上の一行に加わり東海道を旅行。
このとき写生した道中の風景、風俗を基に翌年から保永堂版「東海道五拾三次」 55枚を発表し出世作となる。
その後 37種類の東海道シリーズを描くが、保永堂版を凌駕する作品はない。
さらに「京都名所」、「浪花名所図会」、「江戸近郊八景」、「木曾海道六拾九次」、「名所江戸百景」などを出版、風景画家として名声を博す。
花鳥画、肉筆画にも才能を示し門人も多く、没後も広重の名は襲名され3代まで続いた。
AIによる解説
注意
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彼の人生や死に対する思いが表現された句です。この句について詳しく解説します。
東路に 筆をのこして
旅の空
西のみ国の 名ところを見ん
全体の解釈
この句全体を通して、歌川広重は自分の死を旅立ちと捉え、死後の世界で新たな風景を見たいと願っています。
歴史的背景
歌川広重(1797-1858)は、江戸時代の浮世絵師であり、風景画を得意としました。『東海道五十三次』や『名所江戸百景』などの作品で知られています。彼の作品は、細部にわたる描写と美しい風景描写で高く評価されています。
結論
歌川広重の辞世の句「東路に 筆をのこして 旅の空 西のみ国の 名ところを見ん」は、彼の死生観と芸術に対する思いが込められています。広重は、自分の人生を振り返り、風景画家としての役目を終えた後、死後の世界へと旅立つことを前向きに捉えています。そして、浄土で新たな名所を見たいと願う彼の姿勢は、信仰心と探究心を反映しています。この句は、広重の芸術家としての人生と、死後の世界に対する希望を象徴するものと言えます。