徳川 家康辞世の句

先に行き 跡に残るも 同じ事
つれて行けぬを 別れとぞ思ふ

AIによる解説

注意

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こちらで記載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

先に行き 跡に残るも 同じ事

  • 「先に行き」:先に行くとは、家康自身が先に死ぬことを意味します。
  • 「跡に残るも」:跡に残るとは、家康が死んだ後に残される人々を指します。
  • 「同じ事」:先に行くことも、後に残ることも、結局は同じことだという意味です。

この部分は、死ぬ者も残される者も、最終的には同じ運命を迎えるという無常観を表しています。家康は、自分が先に死んでも、残された人々もいずれは同じ道を辿ることを示唆しています。

つれて行けぬを 別れとぞ思ふ

  • 「つれて行けぬを」:一緒に連れて行くことができないことを指します。ここでは、死後の世界に生きている人々を連れて行くことはできないという意味です。
  • 「別れとぞ思ふ」:これを別れだと考えるという意味です。

この部分は、死によって生きている人々と物理的に離れることが別れだと感じていることを表しています。家康は、自分が死ぬことによって、愛する人々と別れることの寂しさや切なさを述べています。

全体の解釈

徳川家康の辞世の句は、死に対する悟りと、残された人々への思いを表現しています。

  1. 死生観:家康は、死ぬことも生きることも、最終的には同じ運命を迎えるという無常観を示しています。死は避けられないものであり、誰もがいずれは迎えるものであるという現実を受け入れています。
  2. 別れの寂しさ:家康は、死によって愛する人々と別れることの寂しさを感じています。生きている間は共に過ごすことができるが、死後はそれができないという現実に対する寂しさを表しています。
  3. 人間関係の深さ:この句には、家康が家族や友人、仲間たちとの深い絆を大切にしていたことが表れています。死によってその絆が断たれることの悲しみを感じています。

家康の辞世の句は、彼の人生の終わりに際しての心情を深く感じ取ることができます。彼は死を前にしても冷静にそれを受け入れつつ、残される人々への深い愛情と別れの悲しみを感じていることがわかります。この句は、死生観と人間関係の深さを見つめ直す機会を与えてくれます。

人物情報

徳川 家康 画像
職業
武将
没年月日
1616年6月01日

江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。

院号安国院。はじめ、今川義元、ついで織田信長と結び、武田氏を滅ぼす。

豊臣秀吉と和睦して天下統一に協力。
天正一八年(一五九〇)江戸に入府。

関ケ原の戦勝後、慶長八年(一六〇三)征夷大将軍となる。同一〇年秀忠に将軍職を譲り、大御所として駿府で幕府の土台固めにつくした。

豊臣氏を滅亡させた大坂夏の陣にも出陣。
死去の翌年東照大権現の神号勅許をうけ、久能山から日光山に改葬された。