徳川 家康辞世の句
先に行き 跡に残るも 同じ事
つれて行けぬを 別れとぞ思ふ
人物情報
江戸幕府初代将軍。岡崎城主松平広忠の長男。幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。
院号安国院。はじめ、今川義元、ついで織田信長と結び、武田氏を滅ぼす。
豊臣秀吉と和睦して天下統一に協力。
天正一八年(一五九〇)江戸に入府。
関ケ原の戦勝後、慶長八年(一六〇三)征夷大将軍となる。同一〇年秀忠に将軍職を譲り、大御所として駿府で幕府の土台固めにつくした。
豊臣氏を滅亡させた大坂夏の陣にも出陣。
死去の翌年東照大権現の神号勅許をうけ、久能山から日光山に改葬された。
AIによる解説
注意
この解説はAIにより生成されたものです。したがって、誤った情報や不正確な情報が含まれている可能性があります。
こちらで記載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。
先に行き 跡に残るも 同じ事
この部分は、死ぬ者も残される者も、最終的には同じ運命を迎えるという無常観を表しています。家康は、自分が先に死んでも、残された人々もいずれは同じ道を辿ることを示唆しています。
つれて行けぬを 別れとぞ思ふ
この部分は、死によって生きている人々と物理的に離れることが別れだと感じていることを表しています。家康は、自分が死ぬことによって、愛する人々と別れることの寂しさや切なさを述べています。
全体の解釈
徳川家康の辞世の句は、死に対する悟りと、残された人々への思いを表現しています。
家康の辞世の句は、彼の人生の終わりに際しての心情を深く感じ取ることができます。彼は死を前にしても冷静にそれを受け入れつつ、残される人々への深い愛情と別れの悲しみを感じていることがわかります。この句は、死生観と人間関係の深さを見つめ直す機会を与えてくれます。