在原 業平辞世の句
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
昨日今日とは 思はざりしを
人物情報
平安時代前期~中期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇皇子阿保 (あぼ) 親王の第5子。
母は桓武天皇皇女伊登内親王。
天長3 (826) 年在原姓を賜わり、従四位上、右近衛権中将にいたった。在中将、在五中将とも呼ばれる。
伊勢物語の主人公に擬せられ、その奔放な行動と情感のあふれた歌によって小野小町と並称される。
古今集以下の勅撰集に 90首近く入集。
家集「業平集」が「三十六人集」中に収められている。
二条后高子や斎宮恬子らとの恋愛、東下り、惟喬親王との親交などが虚実入り交って伝えられ、謡曲である杜若、井筒をはじめ多くの文芸作品の素材となった。
その子に棟梁、滋春、孫に元方らの歌人がいる。
容姿が美しく、後世には美男の代名詞とされた。
AIによる解説
注意
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彼の死に際しての心情を簡潔かつ情感豊かに表現したもので、彼の生き様や死生観を感じさせます。
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
「いずれは行く道(死)であることは、以前から耳にして知っていたけれど」。
ここで「つひにゆく道」は死を象徴しています。業平は死が避けられないものであり、生まれた者が必ずたどる道であることを理性では理解していました。この部分では、死が人生の一部であるという平安時代の無常観が表れています。
昨日今日とは 思はざりしを
「まさかそれが、昨日や今日のことだとは思っていなかった」。
死が必然であると理解していても、その時がこんなにも早く来るとは想像していなかった、という驚きと感慨が込められています。ここでは、死という現実に直面したときの人間らしい戸惑いと、心の準備の難しさが表現されています。
背景と解釈
この辞世の句には、業平の詩人的感性と、人間としての素直な感情が込められています。
平安時代は仏教的無常観が広く浸透していた時代であり、死を避けられないものとして受け入れる価値観が一般的でした。この句の前半部分は、その文化的背景を反映しています。
しかし後半部分では、業平の人間らしい感情が浮き彫りになります。いくら理性で死を受け入れていても、いざその時が目前に迫ると戸惑いや驚きが生じる、という普遍的な人間の心情が描かれています。
業平は和歌や物語の中で感受性豊かな人物として描かれることが多く、この句にも彼の繊細な感情が反映されています。死に対する驚きや嘆きが率直に表現されており、それが読者の共感を呼びます。
全体の意義
この辞世の句は、死という普遍的なテーマに対する人間の本能的な反応と、平安時代の思想的背景が巧みに融合した作品です。業平の率直な心情表現と無常観を感じさせる美しい言葉の選び方は、彼の歌人としての才能を示すと同時に、現代の読者にも共感を呼び起こすものです。
業平は、風雅を愛し、美的な生き方を追求した人物でした。この辞世の句もまた、彼の感性豊かな人生の最期を象徴する一節として評価されています。