十返舎 一九辞世の句
この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら
人物情報
江戸時代後期の戯作者。本名は重田貞一。通称、与七。別号、十偏斎、酔斎など。
町同心の次男。初め江戸で小田切土佐守に仕え、大坂に赴任、同地で職を辞し、材木屋の婿となるが離縁になり再び江戸へ帰った。
大坂在住中に近松余七の名で浄瑠璃「木下蔭狭間 合戦」などを合作。
江戸では書店蔦屋重三郎の居候となり、寛政7年「心学時計草」を刊行、黄表紙界に進出。
以後自作自画の黄表紙、合巻など数百部のほか、洒落本、滑稽本、読本、人情本、狂歌などを手がけた。
享和2 (1802)年初編刊行の「東海道中膝栗毛」は20年にわたって書き継がれるほどの好評を博し、中本形式の滑稽本の先駆となった。